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レヴィナスについての本を、立て続けに二冊読んだ。
しかし、主体が想定する他者は、主体が成立した後からでは、現象としてしか現われない。他者は、道具であり、糧であり、志向の範疇から飛び出すことはない。それは、SF小説で登場する異星人のようなものですら、そうなのである。 わたしはこのようにレヴィナスを解釈した。レヴィナスについての本を二冊しか読んでいないのに、何を偉そうなことを、と思われるかも知れない。それは正しい。これから、もっと本を読んで、自分の考えを修正していこうと思う。 PR |
どうもはじめまして,chee-choffといいます.忍者サイトマスターの活字コミュから「レヴィナス」という文字を見つけてすっ飛んで来ました.
と言いつつ僕はレヴィナス著作を読んだことはありません.ただ「語りえぬものについて語る」ことは僕自身大変興味を持っており,うまく理解できないながらも本記事を興味深く読ませて頂きました. もしやもうご存知かもしれませんが,レヴィナスについての本でしたら元仏文教授の内田樹氏をオススメします.僕は内田氏の著作から読書が好きになり色々と読みあさっていますが,いずれ氏の専門であるレヴィナスにたどり着きたいと思っております. 内田氏には「哲学は比喩を以て語るべし」という信条があるらしく,「身体への染み込み具合」が他の書き手にはない独特なものを感じます.伯爵の言われる「比喩」と内田氏の比喩がどこかで繋がっているかもしれません. 興味がおありでしたら,「レヴィナス三部作」で検索してみて下さい(なんか販促みたいですみません). どうも,長文失礼致しました. |
初めまして。コメントありがとうございます。
僕がレヴィナスについての解説本を読んで感じたのは、絶対的な他性に主体は到れないということです。 他者は、本来、わたしとは何の関わりもなく存在している。しかし、わたしの前に他者が現前した時点で、他者はわたしの単なる影(現象)に貶められる。それは暴力的な他者の解釈です。 しかし、どれだけ必死に他者を解釈しようとしても、他者の他性に我々はたどり着かない。他者は無限に遠くにいる……。 これは、自らのクオリアを抜き出して他者に提示することが出来ないという米国哲学と鏡像のような発想だと思います。 内田樹さんのレヴィナス三部作、ぜひ読んでみたいです。今たまっている本(30冊ぐらいあるのですが)が消化できたら手をつけてみようと思います。
【2011/10/24 10:06】| | ブラックマンタ伯爵 #2ab012580b [ 編集 ]
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