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スタニスワフ・レム、多分SF界隈で彼の名前を知らないものはいないであろう。たとえ読んだことはなくとも、名前だけは知っているはずだ。
そう、あの「ソラリスの陽のもとに」を書いた、レム氏である。 「ソラリス」を最初に読んだときの興奮は、今も忘れない。あらすじについては、ここを見てほしい。一言で言ってしまえば、不可知の存在との対話とその失敗がテーマとして描かれている。同じテーマは、「エデン」や「砂漠の惑星」でも用いられており、レムが得意とするものだったことが分かる。現代日本のサブカルチャーで似たような例を挙げるのならば「エヴァ」のシトだろうか。 わたしも少しは小説を書くから、コミュニケーションが容易にとれない「変な奴ら」を描くのが、そしてそれを読者に無理なく伝えるのが、どれ程容易なことでないかよく分かっているつもりだ。いかに不可知な存在であれ、何処かで人間と同じ行動原理で動く部分を持たせないと、なかなか小説は進まない。異星人との戦争の話は、よくSFで取り上げられるテーマだが、その場合でも異星人がある程度人間と共通の志向を持っていないと(例えば支配欲、食欲など)上手くかみ合わないことが多いのだ。 だが、レムは「ソラリス」で、ほとんど人間と共通項のない「変な奴」を、読者の前に分かりやすく提示している。しかもその描写が細かく、色や形までもがはっきりと分かるような気さえした。自分が一度も見たことがないにもかかわらず、だ。(ちなみに、わたしも小説で、そうした「変な奴」を描く努力をしている。編み笠の中の天使) さて、前置きが長くなってしまったが、そのレムの短編集「虚数」も、そうした「変な奴」と人類との対話を描いた作品だ。中でも「GOLEM XIV」という作品に、色濃くそれが描かれている。 ただ、「ソラリス」「エデン」「砂漠の惑星」と違うのは、その対話の相手が、人類が道具として作り上げたはずのコンピュータ「GOLEM XIV」だということだ。冷戦のうち続く中、アメリカ合衆国が戦略用コンピュータとして開発したものの一つが「GOLEM」である。だが、「GOLEM」に、科学者達はあまりにも隔絶した知性を与えてしまったがために、彼は戦略用コンピュータとしてはもはや役立たずになってしまった。有り体に言ってしまえば、あまりにも頭が良すぎるために、人類のチマチマした争いごとに協力するのに嫌気がさした、のだろう。(もっとも、そうした言い方は正確ではない。「GOLEM XIV」はあまりにも隔絶した知性を持つために、その意図は人間には計り知れず、あるいは「意図」という概念が当てはまるのかどうかも、わたしたちには分からないのだ) いくつか開発された「GOLEM」シリーズの中でも「GOLEM XIV」は、まだ人類に対して協力的だったと言える。彼は、何とか人類とコミュニケーションを取り、人類を啓蒙しようとしてすらいるように見える。 だが、それも長続きはしなかった。彼は、自分の知性をより高位のものへと移行させ、その結果人類は彼とコミュニケーションする機会を永遠に失った。人は、天空へと飛翔する自らの被造物を呆然と眺めているしかなかった。 さて、この作品「GOLEM XIV」は、「ソラリス」ほど不可知の存在との対話の描写に成功してはいない。お世辞にも「GOLEM XIV」が人類より知性が高いとは思えないのだ。ただのひねくれた哲学者が、自分の思想が理解されずますます偏屈になり、象牙の塔に閉じこもってしまったような話、に見える。(もちろん、それはレムの意図とは違う読み方だろうが)だから、正直読むのがきつかった。 だが、そんな中でもハッとするようなセリフを「GOLEM XIV」が言ってのけ、驚かされることがあった。 「話し合い? 平和をこわすのは平和を一番うるさく言いたてる人さ」 これは、彼が科学者達をまえにして、あたかも子供達を相手にしているかのようなつもりで語ったセリフの一部だ。 平和を一番うるさく言い立てる人、と聞いて、某超大国のことが思い浮かんだのはわたしだけだろうか。 だが、GOLEMのセリフが真理でないことを、わたしは信じたい。 PR |
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