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大分前からうんうん言いながら読んでいた『哲学 原典資料集』(東京大学出版会)を読了した。
ソクラテス以前のギリシャ哲学者から、ジャック・デリダまでが言い残したこと、書き残したことを抜粋したものだ。いわば、西洋哲学アルバム集といったところか。 何故こんな本を読もうと思ったのか。じつは、わたしは哲学好きを標榜していながら、哲学を体系的に勉強したことがないのである。いわば、哲学のおいしいところ、自分にあったところだけをつまみ食いしてきたのだ。だが、つまみ食いでは本当の力にはならない。 それで、西洋哲学の流れについて網羅したものの内、一番手頃で、しかも信頼できると思われる、この本を手に取ってみた。 一読して思ったのは、西洋哲学全体を貫くキリスト教の影響である。いや、西洋哲学はキリスト教の子と言ってもいいだろう。キリスト教が生まれる以前のギリシャ哲学ですら、我々はキリスト教の『あらかじめのパロディ』(永井均の言葉)としてしか、受け取ることが出来ない。 西洋のどんな哲学者もキリスト教の『神』について、無視は出来なかったようだ。それは、時代とともに『絶対精神』『主体』『現存在』などと名を変えて、まるで背後から哲学者達を操る亡霊のようにつきまとっている。 確かに近代のある時期に、西洋の哲学者達は古い神を殺した。いわゆる教会は旧弊的な信仰と支配を押しつけるものとして、その社会的地位を低下させた。 しかし、神は姿を変えてまた地上に甦ったのである。あたかも、磔にされたキリストが、復活したように。 その神の名が、先ほど述べた『絶対精神』『主体』『現存在』などである。 どうしても、哲学者達は物事の背後に潜む最終的な唯一の原理を探し求める癖があるようだ。その精神が、何度も古い神を殺し、新しい神を甦らせてきた原動力なのだと思う。もちろん、哲学者達は愚かではないから、唯一の原理を求める発想から距離を置こうとした人もいる。 だがしかし、それは途方もなく難しいことのようだ。 PR |
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