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  <title>人類存続への意志、それがわたしだ！</title>
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  <description>エッヒッヒ……、こんにちは。
当ブログは、小説家を目指すブラックマンタ伯爵の日々思ったこと、読書感想文などを載せてゆく予定です。
ヘルマン・ヘッセから時雨沢恵一まで様々な小説を読もうと思っております。
また、同時に小説以外の本にも比重を持たせたいと思います。哲学・歴史学その他諸々についての不真面目な文章が掲載されると思いますので、よろしくお願いいたします。</description>
  <lastBuildDate>Mon, 23 Apr 2012 02:18:20 GMT</lastBuildDate>
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  <copyright>© Ninja Tools Inc.</copyright>
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    <title>「アルケンとエリカ」</title>
    <description>
    <![CDATA[ど～も、お久しぶりです。<br />
この度、「小説家になろう」に、わたくし初の大作と言っていい「アルケンとエリカ」を投稿しました。<br />
きちんと段取りをたてて長編を書くのはこれまでしたことがないので、結構穴だらけの作品ですが、よろしくお願いいたします。<br />
読まれました方は、感想などいただけると、恐悦至極、画面に向かって土下座してしまうかもです。<br />
わたくしの土下座を見たい方は、是非感想を&hellip;&hellip;ﾎﾎﾎ&hellip;&hellip;。<br />
「<a href="http://ncode.syosetu.com/n1724be/">アルケンとエリカ</a>」（現在４万字程度、あと４万字書く予定&hellip;&hellip;）]]>
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    <category>小説家になろう投稿履歴</category>
    <link>https://speculative.mamagoto.com/%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8D%E3%81%86%E6%8A%95%E7%A8%BF%E5%B1%A5%E6%AD%B4/%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%80%8D</link>
    <pubDate>Mon, 23 Apr 2012 02:18:20 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>文章の練習</title>
    <description>
    <![CDATA[<font style="color: #00ff00">＠小説の練習として文章を書いたが、「小説家になろう」に投稿できるレベルではないし（何しろ完結していない）、だからといってそのままお蔵入りというのももったいない気がしたので、ここに公表します。＠</font><br />
<br />
<font color="#00ff00">　学校の授業というのは監獄だと、どうやら同級生たちはそう考えているらしい。ほとんどの奴らとは、まともに会話したことがない。佐々木には、彼らが宇宙人のように遠い存在にしか思えなかった。<br />
　授業の時間の方が、彼にとって有意義だったから。教師の話す内容が有意義だというのではない。雑念にとらわれることなく、自らの哲学的思索にふけることができたから。そして、一人で考え事をしていても、目立つことがなかったから。<br />
　授業の合間の休み時間は、監獄からの開放だと、ほとんどの連中は思っているだろう。例えそれが先生お気に入りの優等生だとしても、休み時間はお喋りに花を咲かせ、たわいのない遊びをして、笑っている。<br />
　佐々木は、そんな教室内の空気の中から、浮き上がっていた。いや、逆だ。彼だけが、氷のように冷たく、泉の底のように暗く沈んでいた。<br />
　楽しいお喋りを聞いていると、佐々木の目には涙が溢れてきた。なぜ、自分は彼らのようではないのか。当たり前のように冗談を言い、何か集団で楽しめる遊びに参加できないのか。どこかで、何かを失ってしまったのか、それとも最初から何かを持っていないから、孤独なのか。<br />
　一人で何もしないでいても、誰も話しかけてこない。かといって勉強する気にもなれない。佐々木は、勉強も嫌いだったから。<br />
「親はさ、勉強しろ、勉強しろうるさいけどさー、やっぱ高校時代にしかできない事ってたくさんあんじゃん。それをしないで、高校卒業しちゃあもったいないよね」<br />
「そうよねー、働き出したら、遊びなんてできないっしょ」<br />
「なんか、時々、つまんなそーな生活している奴いるけどさ、マジうざいよね。何考えて生きているんだって感じ」<br />
　髪の毛を思い思いの色に染めた女子生徒たちの声が耳障りだ。うるせー、俺だってお前達のように、楽しく生きたいよ！　でも、どうしたらいいのか分かんねえんだよ。<br />
　佐々木は仕方なく、机の引き出しから一冊の本を取り出した。ある、フランス人哲学者について解説している本だ。抽象的な思考だけが、下らない音声から心を遮ってくれる。多分、あの不良どもからすれば、ガリ勉のように見えるのだろうが&hellip;&hellip;。<br />
　心は、世界とどのように繋がっているのだろうか。もし、何らかの規則が、人間の認識の仕方を決定できないとしたなら（なぜなら、いかなる認識の仕方も、どんな規則とも一致させることができるから）、われわれは世界をデタラメに解釈していることになる。われわれが認識する世界が正しいかどうか、誰にも分からないのだ。<br />
　だが、事実、われわれの認識はおおむね間違いを犯していないだろう。間違いを犯しているなら、われわれは生存できないだろうから。では、何が心を世界につなぎ止めているのか&hellip;&hellip;。それは真理を通してである。窓の外に雨が降っているという認識は、窓の外に雨が降っているという事実と合致していることによって、世界と繋がっているのだ。<br />
　では、真理とは何か。<br />
　<br />
　真理とは何か。なぜ、この監獄で無駄な時間を消費しているかも知れないと自覚している（かも知れない）ほとんどの生徒は、この疑問にぶつからないのだろうか。教師に無意味に反抗する不良たちも、教師と自分達の認識に隔たりがないことを、つまり教師と自分達が真理を共有していること自体を疑うことはない。本当に教師を困らせたいのなら、「真理とは何か」と、問うだけでいい。彼らはしどろもどろになるに違いない。<br />
　佐々木は、無性にイライラし始めた。どうしようもない閉塞感。本当は、真理とは何かなどという問が、生きていく上で何の役にも立たないことを、彼は分かっていた。閉塞感を破ることができるのは、暴力、それも圧倒的な暴力だけだった。<br />
「真理とは何か、なぜ、君たちはこう疑問を思わないのか」<br />
　誰かが大声ではり叫んだ、佐々木は自分の声が空気を介さずに漏れ出たのかと思った。<br />
　稲葉という、不愉快な男がそれを口にしたのだった。<br />
「君たちは、檻の中に閉じこめられているのだ。なぜ、それに気がつかない！」<br />
　教室内にざわめきが増す。元々おかしい奴が口走ったなら、皆ただあざ笑い、あるいは無視するだけだろう。だが、他ならない稲葉の言葉だ、誰もが不気味なものを感じた。<br />
「君たちには、見えないのか！」<br />
　稲葉は大空を指さした。佐々木は空を見あげるが、もちろんそこに目立ったものなど何もない。くすんだ灰色の空&hellip;&hellip;。<br />
「上空から、見下ろす、支配者の瞳を！」<br />
　稲葉は、佐々木とは対極の位置に立つものだった。つまり、クラスの輪の中心だった。頭もよく、運動もでき、彼がいるだけで教室は華やいだ。その彼が、なぜ？<br />
「ここは、シャーレの中。細菌の生態を観察する科学者のように、支配者は我らを監視している！」<br />
　おい、突然どうしたんだ、と稲葉と仲のよい男子生徒が止めに入った。だが、稲葉は喋るのをやめない。<br />
「君たちの携帯に、メールが入ったりしていないか？　おかしな記号の混じった、日本語とも思えないようなメールが！」<br />
　心当たりのあるものが、クラスの半数ほどいたようだ。教室のざわめきは増す。<br />
「それは、世界の解放を試み、失敗した神楽坂涼子からのメッセージだ。もっとも解読できたものはいないだろう。僕以外は！」<br />
　女子生徒の一部が、金切り声を上げた。神楽坂涼子は、動機不明の自殺を遂げた、この高校の生徒だ。佐々木のもとに、そのメールは来ていない。<br />
「この世界から脱出し、真理の世界へと到れ、さもなくば人類は滅亡する。それが、彼女からのメッセージだ！」<br />
　自分と正反対の立場にいる人間が、これほど興味深い状況を作り出してくれるとは、全く思っても見なかった。佐々木は席を立つと、教室の中央、稲葉のもとへと歩み寄った。<br />
「彼の言うことは、事実かも知れない」<br />
　佐々木は、注意深く辺りを見回した。突然劇場の中心に現われた、日陰者の姿に皆注目している。これほど気分のいいこととは思わなかった。<br />
「パラダイム・シフトという言葉がある。それまでのものの見方が、一変してしまうような発見があることだ。いい例が、地動説から天動説へのシフトだろう。そして、多くの哲学者たちが、まもなくパラダイムシフトが起こるであろう事を予想している」<br />
　突然の乱入者に、稲葉が驚くことはなかった。まるで予想済みであるかのように。それが演技だとすれば、相当の手練れだろう。<br />
「そして、次のパラダイムシフトでは、それに適応できないものが死滅するという予想もある。科学文明を拒んだ、多くの少数民族が滅んでいったように&hellip;&hellip;」<br />
「&hellip;&hellip;、佐々木君が、言うであろう事は、僕も予想していた。パラダイムシフトとは、僕の言葉では、シャーレからの脱走だ！　それができぬものは死に絶える」<br />
　佐々木は、まるで歴史の表舞台に立ったような気分になった。仏陀のように、イエスのように、世界を変革する教えが誕生する場を自ら作っているのだ！　これこそが、佐々木の望んでいたことだった。なぜ、もっと早く、事件は起きなかったのか！<br />
「僕は予言する。まもなく、一つの流血事件が起こるであろう。それが、世界滅亡への一つの兆候だ！」<br />
　四時限目の授業開始を告げるチャイムが鳴った。保健体育のいかめしい教師が入ってくるが、教室中のざわめきは治まらない。<br />
「何だ、何だ。授業の始まりだぞ。　席に着け、静かにしろ」<br />
　教師は大声を張り上げるが、ほとんど無意味だった。<br />
「おい、稲葉！　席に着け」<br />
　教師も、どうやら輪の中心が稲葉であることを直観的に把握したらしい。だが、効果はない。<br />
「先生、あなたも愚かな人だな。世界が終わろうとしているのに、暢気に授業など&hellip;&hellip;！」「何。席に着かんと、はり倒すぞ」<br />
「僕は予言する、まもなくあなたは瀕死の重傷を負うだろう」<br />
　稲葉は低い声で言った。<br />
「なんだと&hellip;&hellip;。ふざけるのもいい加減に&hellip;&hellip;」<br />
　その時、教室の扉が激しい音を立てて開いた。扉の外側には、刃物を構えた男が立っていた。口からはよだれを垂らし、目は血走っている。薬物中毒であることは明白だった。<br />
「お前は、外村&hellip;&hellip;」　<br />
　教師は、自分が停学処分にした生徒の名を呼んだ。そうだ、確かにあいつの名前は外村だった。<br />
　外村は奇声を発しながら、突っ込んでいく。教師は避けることもできず。<br />
　刃物が、腕をかすめ腹に突き刺さった。<br />
　あらゆる動きがスローモーションのようだった。逃げ出す生徒の波。稲葉は、超然として見下ろしている。佐々木は、掃除用のモップを手に持った。あたかも、稲葉を守る使徒か天使のように。<br />
　誰か、全てを仕組んだ奴がいる。しかも、神のような力をもった何者かだ。　</font>]]>
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    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sun, 18 Mar 2012 14:07:44 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>存在</title>
    <description>
    <![CDATA[問題は、ハイデッガーの言う事実存在は、言語の生み出した影にすぎないのか、ということだ。なぜ、この単純な問に、誰も気が付かないのか？
]]>
    </description>
    <category>思索メモ</category>
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    <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 14:03:28 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>専門学校の教師がくそムカツク。</title>
    <description>
    <![CDATA[俺は今、小説の専門学校へ行っているんだが&hellip;&hellip;、ライトノベル系の。<br />
そこの教師が、クソうざい。<br />
人の考えたプロット全部、つまんないつまんない言いくさって、それでいながらどこがいけないのか全く指摘しない。他の生徒はみんな長編書く許しが出て、べた褒めしてるのに、俺だけいじめやがって！<br />
こないだ、ようやく「まあ、このプロットもどこが面白いのか分からないけれど、一応起承転結はあるから、これで長編書いてみろよ。まずは、最後まで長編書いて、経験積んでからだな。そうすれば、プロットの作り方も分かるよ」<br />
あっそうですか。つまらないですか。はっきり言っていただいて、ありがとうございます。<br />
でも、あなたの小説を見る目、本当に正しいですか。あなた、ネットで調べたけど、全然実績ないじゃないですか。<br />
そうやって、才能ある生徒の作品をこき下ろして、その生徒をつぶしているだけなんじゃないんですか？　いや、俺に才能があるとは言わんけど、あんたのメガネも相当歪んでますよ。<br />
<br />
などと、悪口を書いてしまいましたが。<br />
ムカつくけど感謝してますよ、あんたには。自分がどの程度のレベルなのか、客観的に見ることが出来ましたから。しかも、まだ酷評してくれるってことは、多少は期待してくれているってことでしょうからね。<br />
どうでもいいと思ったら怒りもしないでしょうし。<br />
そう言うことにしといてあげますよ。<br />
<br />
でも、「お前まだ居たの」発言にはさすがに傷つきましたよ。遠回しに、やめろって言ってるんですか？<br />
いやです、やめません。]]>
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    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sat, 14 Jan 2012 13:24:34 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>素晴しき日々～不連続存在～をようやく終えた</title>
    <description>
    <![CDATA[わたしは普段、エロゲーなどやらないのだが、偶然見つけた『素晴しき日々』をアマゾンで買ってしまった。<br />
偶然、その経緯はこうだ。<br />
東浩紀の『動物化するポストモダン』などの、オタクサブカルチャー系の本を昔から読んでいて、ある種のエロゲーが現代思想と深くつながっていることは、大分前から知っていた。そこで、世間で話題になっているエロゲーのいくつかを購入し、やってみたのだが、いまいちぴんと来なかった。そこで、いったんエロゲーとは縁を切った、つもりだったのだが&hellip;&hellip;。<br />
　やはり、現代思想とエロゲーのつながりについて詳しく知りたいと思い、グーグルで「ウィトゲンシュタイン　エロゲー」で検索してみたところ、このゲームが引っかかったというわけだ。<br />
　ウィトゲンシュタインの独我論を主軸に据えたエロゲー、と言うことで、僕の心は久しぶりにワクワクを感じ、すぐに購入した。それが平成23年８月末のことだから、発売から一年以上たっており、世間での旬は大分過ぎていたようだが。<br />
　すぐに、やってみた。<br />
<br />
<font style="font-size: x-large">　好き。</font><br />
　この雰囲気、思弁的な内容、大好き。<br />
　そう思った。すぐにはまった。<br />
　仕事で泣きそうなことがあっても、専門学校の教師から頭にくることを言われても、家に帰って土日はこのゲームをやれる、という気持ちが、大分心を支えてくれていたと思う。もちろん、いい大人なんだから、ゲーム以外にも心の支えは用意しているけどさ&hellip;&hellip;。<br />
　＜ここからネタバレになるから、要注意＞<br />
　自分は、こんな小説を書いてみたいと本気で思った。<br />
　ウィトゲンシュタインだけではない。キリスト教神学も、世界中の文学も、そして多分、仏教の輪廻転生の思想も&hellip;&hellip;、つまり、僕の好きなありとあらゆる要素が、「不連続存在」という一つのテーマに則って展開されている。<br />
　これは哲学という抽象的な分野の、エロゲーというイカ臭い現実への応用と言えよう。まさに、物語工学！<br />
　哲学者が苦闘して考えた手練手管を、ふんだんに使った壮大な物語なのだ！<br />
<br />
　もちろん、我々は物語を作るとき、どんな作品でも少しは、本人の意図を超えて、過去の哲学者の発明した手練手管を使っているのだろうが、このゲームの作者はそれを意図的に行っている。少々、マニアックすぎて、現代思想に興味のない人は、投げ出してしまうかもしれないが、でも、なんて言うか、インテリ層にはもってこいのゲームだろう。逆に、インテリぶっている奴が嫌いな人は、ダメかもしれない。<br />
　それにしても、このゲームの作者、SCA自さんは、どういう頭をしているのだろうか。一度、あって話をしてみたい気もするし、怖いような気もするし&hellip;&hellip;。]]>
    </description>
    <category>ゲームの感想など</category>
    <link>https://speculative.mamagoto.com/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%B3%E3%81%AA%E3%81%A9/%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%81%97%E3%81%8D%E6%97%A5%E3%80%85%EF%BD%9E%E4%B8%8D%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%AD%98%E5%9C%A8%EF%BD%9E%E3%82%92%E3%82%88%E3%81%86%E3%82%84%E3%81%8F%E7%B5%82%E3%81%88%E3%81%9F</link>
    <pubDate>Tue, 03 Jan 2012 10:19:34 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>独創と模倣の区別がつくか</title>
    <description>
    <![CDATA[突然だが、わたしは次のような経験をしたことがある。<br />
中学生のあるとき、自分が思いついた化け物の絵をたくさん描き、友達に見せたことがある。<br />
わたしは、それを全くの独創だと思っていたが、それを見た友達は「ずいぶんドラクエに出てくるモンスターの影響を受けているな」と冷やかした。<br />
確かに、その絵を描いた時期、「ドラゴンクエストモンスターズ」をやっていたのだが、彼にそう言われるまで全く影響を受けていたとは気がつかなかった。それどころか、それは、色々小難しい本を読んでイメージしたもので、そんな低俗なゲームの影響ではないと言い張り、喧嘩になった。わたしは決して、心の中でも、対外的にも、ドラクエの影響と言うことを認めなかった。<br />
さて、友達とわたしと、どちらの主張が正しかったのだろうか。常識的に考えて、わたしのことを一番よく知っているのはわたし自身であるから、わたしの主張が正しいように感じる。だが、一方で、わたしが無意識のうちに自分自身に嘘をついている可能性もある&hellip;&hellip;。<br />
いま、このことに関して、次のような思考実験をしてみたので、ここにメモをする。<br />
<br />
昔々、土器を大量に作る文化が、ある島にあった。その人たちは、すべすべの模様がない土器を作っていた。ある時、その島に別の文化を持つ人々がやってきて、先住者と混在してすむようになった。彼らも土器を作るが、口縁部より少し下に、凸帯文を施す習慣を持っていることで、先住者とは区別された。<br />
だが、新顔と同居する先住者の中の一人が、凸帯文を施した折衷式の土器を作り出した。そこに、文明国から来た文化人類学者が、こう質問した。<br />
「なぜ君は、突然凸帯を施文するようになったのかね？　新顔たちの真似だろう」<br />
だが、なぜかその先住者は次のように主張するのだ。<br />
「いいや、これは僕のオリジナルの発想さ。確かに彼らの凸帯文とよく似ているが、これは村の近くに生えている竹の節をデザインしたものさ。最近、竹が増えているから、その強さにあやかってね」<br />
文化人類学者は、どう反応すればいいのだろうか。彼が嘘をついていると判断するのか？　だが、嘘をついているという明らかな証拠はない。どんなに、凸帯文土器に類似していても、制作者の主張する意図は、あくまで「竹をデザインした」ものなのだ。<br />
ここに、伝播主義と進化主義の対立をかいま見ることが出来る。<br />
おそらく、わたしが文化人類学者であるならば、新顔たちの土器の模様が「伝播した」と考えるだろう。「彼は、「竹」だ、と主張しているが、実際本人自身あまり自覚していないようだが、新顔たちの土器の影響を受けたのは間違いあるまい。何しろ毎日、凸帯文土器を見ているのだから」&hellip;&hellip;それが普通の考えだろう。<br />
<br />
だが、これには反証もある。<br />
わたしが高校生の時、なぜか男性生殖器を連想させるケースに入ったグミが販売されていた。ふつう、いくら連想させるからと言って、制作者が男性生殖器をモデルにケースを作ったとは考えまい。たとえ、デザインした人間が男性で、放尿するときいつも男性生殖器を見ているとしても、だ。しかし、ある種の精神分析家ならば、「いや、このデザイナーは、無意識のうちに男性生殖器を模倣しているのだ。放尿するとき、風呂にはいるとき、つまり毎日それを見ているのだから、影響を与えない方が不可解だろう」<br />
その精神分析家の考えは、少し変わっているが、筋が通っていないわけではないだろう。通俗的な精神分析の文脈では「性」こそが、人間の行動の最終審級だという話だし&hellip;&hellip;。<br />
<br />
つまり、何が、それのデザイン・文様に影響を与えたかなどは、如何様にも解釈できる、と言うことだ。そして、その解釈は人それぞれあって良いのだ&hellip;&hellip;。それが、現在のわたしの結論だが、正しいだろうか。<br />
]]>
    </description>
    <category>思索メモ</category>
    <link>https://speculative.mamagoto.com/%E6%80%9D%E7%B4%A2%E3%83%A1%E3%83%A2/%E7%8B%AC%E5%89%B5%E3%81%A8%E6%A8%A1%E5%80%A3%E3%81%AE%E5%8C%BA%E5%88%A5%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%8B</link>
    <pubDate>Wed, 21 Dec 2011 13:41:18 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>夏目漱石『明暗』</title>
    <description>
    <![CDATA[　かの、夏目漱石の『明暗』をようやく読破した。二ヶ月以上かかってようやく読み終えた計算になる。<br />
　小説家を目指すものとして、夏目漱石の諸々の技巧は敬服するほかない。<br />
ストーリーとして、何か派手なアクションがあるわけではない。ただ、主人公たちのぐちゃぐちゃとした内面を描いているだけだ。並の人が書いた文章なら、そんなの読んでるだけで気が滅入って、途中で投げ出してしまうに違いない。<br />
　漱石の文章は、なぜだか読んでいてワクワクしてくる。なぜだろうか。<br />
　小説は大きく二つの要素に分けることが出来る、と思う。内容と表面だ。内容がただ「夕立が来た後は快晴だった」という事実だけだとしても、「夕立は、彼の心に降る悲しみのごとくであった。だから、ひとしきり泣くと、そこには真夏の太陽のごとき熱い思いが残った」などと、文章に味付けできる。その味付けのことをここでは表面と呼びたい。<br />
　漱石はそうした表面のプロだと思う。もちろん、職業作家はみな、当たり前にその力を持っているが、『明暗』を読む限り漱石はずば抜けている。あらすじに全く盛り上がりがなくとも、表面の力だけでここまで読者を引っ張れるのだ。<br />
　<br />
　最も、自分が今のところ目指しているのはエンターテイメント小説なのだから、あらすじもしっかりしないといけないのだが&hellip;&hellip;。<br />
]]>
    </description>
    <category>読書日記</category>
    <link>https://speculative.mamagoto.com/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E6%97%A5%E8%A8%98/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E3%80%8E%E6%98%8E%E6%9A%97%E3%80%8F</link>
    <pubDate>Sun, 11 Dec 2011 01:12:36 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>直接経験について</title>
    <description>
    <![CDATA[人はなぜ、自らの直接経験を疑い得ないのか。<br />
例えば、痛み。<br />
自らが腕の骨を折り、激烈な痛みに襲われているとき、もしかするとこれは痛みではないかもしれないと、なぜ疑わないのか。<br />
あるいは、よく晴れた夏の日中、澄み渡った青空を呆然と眺めるとき、なぜ、あの色は本当は青ではないかもしれないと疑わないのか。<br />
いや、正確に言えば、疑うことは簡単だ。デカルトのように、全能の悪魔がわたしに「青でない色」を「青である」と信じ込ませている可能性はあり得るからだ。もっと端的に、幻覚を見ている可能性もある。<br />
しかし、例え幻覚を見ているにしろ、いま、その感覚を「痛み」「青さ」と感じていることは、絶対に疑い得ない。<br />
どうして、「痛い」という語の使用を誤っており、世間で言うところの「かゆみ」という感覚を、わたしは「痛い」と表現してしまっているのだと、通常、なぜ疑わないのだろうか。<br />
他人が痛がっているとき、その周囲の状況（コンテクスト）から考えて、「あの人は痛がっているふりをしているはずだ」と考えることは可能だ。しかし、実際に、どう考えても痛みの生ずるはずのないときに、「痛み」が感じられたとき、どんなに周囲の文脈がそれを否定しようと、自分の感覚を否定することは出来ない。<br />
それは、どうしてか。<br />
]]>
    </description>
    <category>思索メモ</category>
    <link>https://speculative.mamagoto.com/%E6%80%9D%E7%B4%A2%E3%83%A1%E3%83%A2/%E7%9B%B4%E6%8E%A5%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6</link>
    <pubDate>Sat, 03 Dec 2011 03:31:58 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>規則への従い方についての規則</title>
    <description>
    <![CDATA[　昔、友達と文法について、次のような議論をしたことを覚えている。<br />
　友達は、予備校の英語教師にこういわれたそうだ。<br />
「いま、君たちは英文法の勉強をしているが、本当は文法など言葉にとって後付に過ぎない。いま、そしてこれから未来、文法規則にない話し方を英語のネイティブスピーカーがするようになったとしても、それは間違ったことではない。話し言葉の即興性は、文法に先立つのだ」<br />
　友達は、それを正しいと思い、僕にそのまま伝えてくれた。<br />
　それに対して、多分僕はこう答えたと思う。<br />
「確かに、言葉の本質は即興性にあるのかもしれないが、それでも、全く規則に支配されない音が、言葉になるとは思えない。それは、意味不明の音の羅列だろう。やはり、何処かで文法は即興に先立っているのではないか」<br />
　それに対して友達がどう答えたのかは思い出せない。（もちろん、高校生の自分たちがこんな堅苦しい言葉を使ってやりとりしたわけではないが、どうしても書き言葉にすると論文調の言葉になってしまう。お許しいただきたい）<br />
　いま、高校時代よりいくらか視野の広がった僕には、次のような疑問が思い浮かぶ。では、言葉が最低限従うべき文法は、どこに存在しているのか。明らかに、人の脳内のある部分だろう。そして、コミュニケーションが全人類的に成立する以上、言葉が最低限従うべき規則は、全人類で共通でなければならない。もし、ある人の脳内に全く別の規則が存在しているとするならば、その人との会話は不可能だろう。<br />
　だが、全人類共通の規則があるとして、その規則への従い方まで、全人類に共通していると言えるのか。ウィトゲンシュタイン流の例えを使うならこうだ。矢印は進行方向を示すという規則がある。みな、それに従う。だが、矢印の平らな方ではなく、尖っている方の向きが何かを指示していると人は解釈するのか。それについて人間の脳内に規則があるからだろう。だが、規則・規則の従い方・規則の従い方の従い方&hellip;&hellip;、人間が言語を話す以上従わなければならない規則は無数にあるが、人間はあらかじめそれらを全て知っているわけではない。人間の脳は有限なのだから。<br />
　だから、生得的な規則ではなく、教育で身につけた規則もあると言うことだ。だが、教育で規則への従い方を身につけるということは、自らの持つ生得的な規則への従い方も、教育によって自由に身につけることが出来るということなのだ。<br />
「三角形」と聞いて、「△」と言う図を書くか、「▲」という図を書くか、「◇」という図を書くか、あるいは三角形の鈍器で相手の頭を殴るのか、それは教育によって身につくことなのである。そして、普通日本人ならばだいたいが「△」あるいは「▲」という図を書くだろう。鈍器で頭を殴る人は心を病んでいるとみなされる。だが、それは習慣に過ぎず、生得的な規則に従ったわけではない。<br />
　どうして、人は頭の中にある有限の規則から、文脈に合わせた臨機応変の行動がとれるのか。<br />
　考えられるのは、模倣、だろう。子供は大人の行為を模倣して、言語や、習慣を身につけていく。この文脈ではこのように行為するのだとか、この状況ではあいさつをするべきだとか。だが、人は自分が出会う文脈すべてを大人達から学ぶわけではない。にもかかわらず、人は、初めての状況でも臨機応変に対応できる。<br />
　もう一度問おう。どうして人は頭の中にある有限の規則から、文脈に合わせた臨機応変の行動を取ることが出来るのか。規則がなければそもそも人は行為できない。だが、規則は有限である。<br />
　さらに、こう考えることは出来るかもしれない。人は、ある状況におかれたとき、過去あった似たような状況を思い起こし、それと同じような対応をするのだ、と。その、状況が似ているかどうかの基準、すなわち類似の基準を人は持っているのだ、と。<br />
　だが、それに対してもこう反論することが出来る。人は、過去の状況と全く同じ行為だけをする生き物ではない。むしろ、まさにその場の文脈に合わせて自分の行為を過去とは別のものに変えることが出来る。その時、どのような規則が働いているのか。<br />
　例えば、過去に同様の状況である行為をしたため不快な目にあったから、その同様の行為をを避けようとする、そうした規則が働いているのかもしれない。だが、別の行為は無数にあるにもかかわらず、ある行為を人が選ぶのは何故か。<br />
　メチャクチャな議論になってしまったが、多分、今までの議論から次のことが帰結するだろう。人間は、言葉で語り尽くすにはあまりにも複雑な構造をしている。人が従っている規則全てを抜き出してみるのは、人間業では出来ない。<br />
　さらに言えるのは、人間のミス、言い間違い、勘違いなど悪いイメージを持たれている行為こそが、与えられた規則に従うことしかできないコンピュータにはない、人間の創造性の源泉だということだ。間違える能力のないものは、新しいものを生み出す能力もないということだ。<br />
　<br />
　]]>
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    <category>思索メモ</category>
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    <pubDate>Sat, 15 Oct 2011 15:09:19 GMT</pubDate>
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    <title>レヴィナスについて</title>
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    <![CDATA[<p>
	　レヴィナスについての本を、立て続けに二冊読んだ。<br />
	&nbsp; 一つは、港道隆『レヴィナス――法-外な思想』講談社・１９９７年刊、もう一つが、熊野純彦『レヴィナス入門』筑摩書房・１９９９年刊である。港氏の本はある程度レヴィナスの思想に親しんだ人用のもの、熊野氏の本は文字どおりド素人でもある程度理解できる入門書といったところだ。<br />
	　しかし、どちらの本を読んでも、レヴィナスの思想について分かった気にはならなかった。それは、彼らの説明が悪いというよりは、レヴィナスその人の文章があまりにも難解過ぎるという理由によるだろう。もう一つの理由は、読んだわたし自身に素養がないからだ。レヴィナスについて本気で勉強するならば、「現象学」という哲学の一分野について深く理解しておかなければならない。なぜなら、レヴィナスは現象学的な道具立てを使って自らの思考を記述しているからだ。<br />
	　だが、レヴィナス理解を本当に難しくしている一番の理由は、多分彼が、語り得ないことについて語ろうとしているからに違いない。<br />
	　通常人間は、自らの認識する世界の中に存在する存在者一つ一つに、ある方向付けを与えている。存在者は対象であり、道具であり、糧である。例えば、今わたしの目の前にある時計は、道具であり、金属で出来ており、わたしの腕にはめて使用する。そうした方向付けを、現象学では「志向」と呼んでいる。わたしの前に現れ出るものは普く志向であり、それから逃れでることはない。端的に言って、われわれは世界に意味を与えて生きている。<br />
	　だが、レヴィナスは、そうした世界に志向が、意味が与えられる以前に遡ろうとした。　当然、意味が与えられる以前のことについて、通常の言葉を用いては何も語り得ない。意味が与えられる以前にも、わたしと世界は何らかの関係を持って存在しているはずなのだが。だから、レヴィナスは比喩に頼る。比喩は通常語り得ない性質のものを、語り得るものにする性格があるからだ。上記した二冊の本には、だからレヴィナス独特の沢山に比喩が登場する。「顔」、「愛撫」、「家」、「夜」、「不安」&hellip;&hellip;。だが、レヴィナスはフランス語で文章を書いた思想家だ。フランス語に親しんでいないわたしにとって、その言語の高度な使い方である比喩を理解するのは、あまりにも難しい。これが、レヴィナスがわたしにとって理解しづらい一番の理由だろう。<br />
	　さて、にもかかわらず、レヴィナスの思想はわたしにとって魅力的なものに映った。その理由をわたしなりに解きほぐしてみようと思う。<br />
	　彼の思想の重要な柱と思われるもの。世界を、たった一人の観客が見ている、劇場のようなものと例えよう。その観客を、ここでは主体と呼ぶ。ウィトゲンシュタイン風にいうなら「主体は世界の限界であ」り、他者は劇場に現われる取るに足らない登場人物に過ぎない。世界は私の世界なのである。<br />
	　だが、人間が言葉を話す以上、主体は他者に食い込まれている。言葉を話す以上、世界は「わたしの世界」ではなく「われわれの世界」になるからだ。主体は、この世界がわたしのデタラメに解釈した世界ではなく、客観的に見ておおむね正しい世界であろうことを根源的な部分で想定している。（もちろん、何かの勘違いや、酷いときには幻覚という症状もあるのだが）客観的に正しいということを前提としなければ、主体は自らの話す言葉が正しいとする基準を持たず、従って主体は一言も発することが出来ない。言葉を可能とする条件は、他者に公示できることだ。<br />
	　ここでの言葉とは、話し言葉、書き言葉だけを意味するのではない。それは、われわれの行為、もっと言ってしまえばわれわれの生そのもののことだ。主体の生は、世界が客観的に正しいことを想定しなければ行為できない。客観的に正しいとは、自分と絶対的に異なる他者から見ても、世界が最終的には「こうである」ことを想定することである。<br />
	　つまり、主体が立ち上がる以前に、主体は一人ではないのだ。そこには他者がいる。これこそ、独我論を不可能にする理由だろう。<br />
	　間違っているかも知れないが、取り敢えずわたしは、レヴィナスをこう解釈しておく。</p>
<p>
	　しかし、主体が想定する他者は、主体が成立した後からでは、現象としてしか現われない。他者は、道具であり、糧であり、志向の範疇から飛び出すことはない。それは、SF小説で登場する異星人のようなものですら、そうなのである。<br />
	　だが、主体の想定から、他者は無限に後退する。主体は他者を解釈しようと不断の努力をするが、他者は主体の手から完全に逃れでてしまう。われわれが、超音波で世界を認識するコウモリの感覚を、どうあがいても理解できないように。<br />
	　そして、他者が逃れでてしまうこと、それこそが、逆に客観界を成立させる条件だと思う。無限に異なる他者が存在し、主体とコミュニケーションできること、それこそが、客観界の存在を微かに指し示している。<br />
	　その、無限の彼方に去ってしまう他者が、しかし、わたしに呼びかける。絶対的に異なる存在を受け入れよ、と無限に遠いところからわたしに呼びかけるのだ。主体は、その呼びかけに「はい、なんでしょう」と答える以外に選択肢はない。たとえ、相手が殺戮者であろうとも。「了解しました」こそが、根源的なのだ。<br />
	「了解しました」はしかし、両刃の剣だ。そこから暴力が始まるか、平和が始まるかは、さいの目を振ったときのように分からない。例え理性で平和を望んでいても、始まってしまうのは戦争かも知れない。あるいは、戦争こそが他者とのコミュニケーションの唯一の道となる場合もあるだろう。それを制御することは、主体には出来ない&hellip;&hellip;。</p>
<p>
	　わたしはこのようにレヴィナスを解釈した。レヴィナスについての本を二冊しか読んでいないのに、何を偉そうなことを、と思われるかも知れない。それは正しい。これから、もっと本を読んで、自分の考えを修正していこうと思う。</p>
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    <category>読書日記</category>
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    <pubDate>Sun, 09 Oct 2011 10:57:49 GMT</pubDate>
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